南海日日新聞

甦った言語―イギリス・マン島語

南海日日新聞2020年01月08日掲載:島ことばの散歩道17(執筆:横山晶子)再掲載


「『私』はまだ死んでいない。もし死んでるとしたら、学校で学んだり話したりしているこの言葉は何なの?」。 これは、イギリス・マン島の子どもたちがユネスコに送った手紙である。ユネスコは2009年にイギリス・マン島の言語(マン島語)を「死語」として発表した。 確かにマン島語の「最後の母語話者」は1974年に亡くなっている。しかし、現在マン島語には2千人ほどの話者がいる。 それがどうやって可能になったのか? マン島でインタビューをしてきた。

マン島語はかつて島で誰もが使う言語だったが、1765年に英国王室の属領になってから話者が減少し始める。 1974年に最後の話者が亡くなった時、マン島語は途絶えたように思えた。 しかし、島には母語話者からマン島語を学んだ「ニュースピーカー(新しい話者)」がいた。 ニュースピーカーたちは、母語話者の元に通ったり、テープや文法書で自習したり、ニュースピーカー同士の集まりに出たりして、言葉を習得していた。 そして1990年、住民の36%が「マン島語を教育に取り入れたい」と投票したことをきっかけに、政府に「マン島語部門」が発足、1996年にマン島語だけで教える保育園、2011年に小学校が開設する。

マン島語と英語は系統が違う言語。子どもたちは入学するときにほとんど何も分からない。 それでも、校長のジュリー・マシューさんは「子どもたちは2カ月で言葉が分かるようになり、クリスマスの頃(3カ月半)から話し始める。それが毎年繰り返される」と言う。 マン島語には、学校の他にもいろいろな学ぶ手段がある。たとえば、小学校の横のカフェでは毎朝大人向けのマン島語教室が開かれている。 本や音声が聞けるオンライン教材がある。マン島語で書かれた聖書や、とても古い時代の談話資料を、インターネットで見ることが出来る。

大人のマン島語教室で=2019年10月25日

今でこそ、たくさんの学習手段があるマン島語。でも数十年前はそうではなかった。 マン島文化協会のエイドリアン・ケインさんは「マン島語が上手な人の元に通っては1対1で話して学んだ」、 マン島語を教えるポール・ロジャーさんは「毎週夜にパブに集まって、同じようにマン島語を学んでいる仲間と話した。」と語る。 マン島語の復興は常に順風満帆だったわけではない。1899年にマンクス・ゲーリック協会が設立され、マン島語の普及を試みた時には大衆の支持を受けることが出来なかった。 しかし、歴史上常に言葉を繋ごうとした人たちがいて、今の繁栄に繋がっている。

政府のマン島語部門のロバート・ティアラさんは「言葉を継承するためには、二つの異なる仕事をする必要がある」という。 それは「言葉それ自体には保守的であること―支配言語に影響されて、あまりに変わってしまわないように気を付けること。 一方で話者には寛容であること―誰が話すか、どれくらい上手かを気にしすぎないこと」。話す人に優しくなければ、言葉は消えてしまう。 ご先祖が繋いできた言葉を大切にしながら、新しく島ことばを話す人たちにも優しい継承を目指していきたい。


戻る